若い才能を開花させた1930年代
独立後の1930年代はまさにスージークーパーの時代というに相応しい時代でした。
1931年ノーズゲイ、1932年ウェディングリング、1935年ドレスデンスプレイ、1937年エイコーン、1938年パトリシアローズ、1939年パネルスプレイなど今も人気の高いデザインは全てこの時代に集中しているのです。この間スージーは結婚もしています。
しかし社会的には1929年ニューヨークの株式大暴落に始まる大恐慌、そして1931年に満州事変、1933年にヒットラー政権誕生、1937年にはシナ事変勃発、1939年遂に第二次世界大戦勃発と、嵐の時代が続いています。
スージーの生きた時代はまさに戦争と混乱の時代でしたが、同時に女性の時代でもあったのです。
英国の陶郷と呼ばれるストークオントレント周辺では、スージーと同様にクラレスクリフ、シェリー窯のシャーロットリード、花器のデザインに才能を発揮したキースマリーら女性アーティストたちが活躍、英国工芸の歴史に名を連ねています。
スージークーパーに見るジャポニズム
こうして見て来ますと、日本、戦争、女性、大恐慌、とスージーの生きた時代のキーワードが見えて来ますが、なかでも私は特に“日本”と“大恐慌”に注目して見ました。
スージーは豊かで教養のある英国家庭で教育を受けましたから日英同盟の20年間は、当時注目されていた日本の文化もおおいに吸収して育ったと私は想像しています。
また陶磁器を学ぶ者は必ず中国や日本の焼き物を学びますが、スージーのデザインの奥には日本の古伊万里などの影響があると思っています。
例えば、スージーに最も多いデザインの基本はグラデーションです。カップのリム(縁)やお皿に見られるボカシですが、これは伊万里の吹き墨から来ています。あるいは、パネルスプレイに見られるパネルも伊万里の窓絵そのものです。
また、スージーのかわいいの基本はドンティルなどに見られるドットのデザインで多くのスージー作品に出て来ますが、これも古伊万里の雨降り柳からヒントを得ています。
つまり、スージーは基本がジャポニズムにあると思うのです。